直島の名物案内人に聞いたアートの聖地の“舞台裏” 余韻ラジオ

現代アートの聖地と称される直島。そこに、“夕日のおっちゃん”と親しまれる一人の島民がいます。直島生まれ・直島育ちの、立石肇さん。国内外の観光客やアーティストと交流を続ける“名物案内人”で、直島のアート活動を初期から見つめ続けてきました。 立石さんの暮らす「本村地区」には、内藤礼さんや大竹伸朗さん…多くの名だたるアーティストが手掛けた作品が点在します。それら「家プロジェクト」のほか、地中美術館やベネッセハウスミュージアムなど、現代アートの力で島が進化していく姿を間近に見つめ、人と島との出会いを支え続けている立石さんの想いを聞きました。お話に登場したスポットは、しまれびマップの黄色いピンをご覧ください。

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    島暮らしのアナウンサー

    まな

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    直島在住

    立石 肇さん

アートの島、その根底にあるのは人と人のつながり。

あたたかい交流が、アートをもっと身近にする。

瀬戸内の島々を旅していると、地元の人が話しかけてくれることがあります。そうした地元の人とのコミュニケーションは、旅をより思い出深いものにしてくれますよね。直島に暮らす立石肇さんもその一人。道行く観光客に話しかけ、ときには道案内もしてくれます。
「自宅の近くに芸術祭の作品がいくつかあるから、観光客もよく来るんだよ。だから『どこから来たの?』とか『次は何を見に行くの?』などと聞いたりしてね。せっかく遠くからアートを見に来たのに、目的の場所までの行き方がわからなくて困っていたらかわいそうでしょ。それに、アーティストの方が一生懸命制作しているところも見ているから、応援したい、ぜひ見てほしいという気持ちもあるね」

立石さんは観光客だけでなく、制作のために島に滞在しているアーティストにも積極的に声をかけます。「時々、簡単な作業を手伝ったりしてね」と話すように、完成までの経過やアーティストの苦労を間近で見てきました。「そういう姿を見ていると、やっぱり作品への興味もわくし、応援したいっていう気持ちになるんだよ」

直島が「アートの島」へと変わっていく過程をずっと見てきた。

「高校を卒業して一度島を出たけど、33歳のときに戻ってきてそれからずっと直島に住んでいるんだ。直島は自然が豊かで、小さな島のわりに大きな工場があるから人の行き来が多くて、住んでいる人は穏やかで素直。そういう島だね」

そんな直島で最初に行われたアートの大きなイベントが「直島スタンダード」。瀬戸内国際芸術祭が始まる9年前、2001年のことです。
「若いアーティストがたくさん島に来てね、すごいにぎわいだったよ。おかげでSNSでは1000人の友達ができたんだ。今ではすごく有名になったアーティストもいて、当時彼らにもらったサインは僕の宝物だね」

直島スタンダードから始まる直島のアートシーンを間近で見てきた立石さん。アーティストと直接交流し、また、美術館ができていく経過もつぶさに見てきたからこそ、愛着がわくと言います。
「多分、完成した作品をどこかから持ってきてポンと置いてあっても、そんなに興味を持てないと思うんだよね。アーティスト本人を知っているからこそ、応援したくなるんだと思う。アートの島といってもそれは作品単体で成立しているのではなく、人間同士のかかわりというのが根底にあるんじゃないかな。だから観光客ともアーティストともたくさん交流したいんだよね」

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